こんにちは。渡辺貴史(わたなべたかふみ)です。
先日夕方、いつもの道を歩いていたら、先方の脇から左に曲がる車が見えました。
私は、え?と思っていたら私の方に走ってきました。ここの道は一方通行で、私の方に向かって来るのは明らかに逆走です。
私はその車のドライバーにこちらに走ってくるのはダメだとジェスチャーをしました。ドライバーは気がついたのですが、そのまま走って行きました。
これは交通違反、ルール違反になりますよね。
世の中には沢山のルールがあります。
ルールをネットで調べてみると、規則や規制、約束、しきたりなど出てきます。
例えば、ゴミの出し方。
月曜日と水曜日、金曜日は燃えるゴミ。火曜日は不燃ごみ。木曜日は資源ごみ。
例えば、野球。
ストライク3つでアウト。3アウトでチェンジ。ボール4つでフォワボール。
例えば、サッカー。
試合は前半と後半。ゴールキーパー以外の競技者が手や腕でボールに触るとハンド。
例えば、車の運転。
信号が青色なら進め。赤色なら止まれ。
これらのルールは当たり前のことで、守らなければ当然ですが、法律違反で捕まったり、逮捕されたり、指導を受けたり、反則になってしまいますよね。
それ以外に、
あなたにはあなたの自己ルールがあるのです。
あなたは自己ルールと聞いてこのように思いましたか?
・あなたは、自己ルールって何なの?
・あなたは、自己ルールなんてあるのかな?
・あなたは、自己ルールは自分のルールのこと?
・あなたは、そんなものはないでしょ?
でも、
例えば、
・あなたは、誰からも認めらなければならないと思っていることはありませんか?
・あなたは、成功しなければならないと思っていることはありませんか?
・あなたは、間違えてはいけないと思ってはいませんか?
・あなたは、失敗したらいけないと思ってはいませんか?
このように思われているのであれば、
あなたには、
「観念」
があるのです。
「観念」とは主観的な物ごとの捉え方、価値観のことです。
〇〇をしなければならない、〇〇は常識、〇〇は当たり前、〇〇は普通、などあなたの価値観、それはあなたの自己ルールのことです。
あなたに、誰からも認められなければならないという「観念」主観的な物ごとの捉え方があれば、誰からも認められなければならないんだとなるのです。
でも、誰からも認められなければならないとなれば、あなたはできますか?
人はそれぞれ生まれて育って来た環境が違うので、観念(主観的な物ごとの捉え方、価値観)が違うのです。
誰からも認められなければならないとは、価値観が違う人それぞれに合わせてあなたが、認められなければならないとなるのです。
例えば、
あなたの会社の上司A部長は一戸建ての家を買って定住したい、B課長は一戸建てよりも住む場所を決めないで色々なところに住みたいので賃貸でいい、あなたはどちらでもいいのですが、上司から認められたいために、A部長には一戸建ての方がいいですね、B課長には賃貸の方がいいですね。
と合わせることはできますか?
できませんよね。
八方美人になることは、人から信用も得なくなります。
これで分かるように、誰からも認められなければならないということはできないのです。
あなたは、それでも誰からも認められなければならないと思いますか?
また例えば、
あなたが車の免許を持つのは常識という「観念」主観的な物ごとの捉え方があれば、車の免許を持っていない人がいると常識でないと思うのです。
車の免許は、18歳になってから取得できるので早い人であれば、高校生のうちから取得できますよね。
18歳以上の人が車の免許を持っていないと、何で持っていないのかとなるのです。
でも、車の免許は誰でも持っていないといけないと思いますか?
人によっては必要性がない、取りにいく時間がなかったから今は持っていない、仕事に必要だからこれから取りに行く、車を買おうとは思っていないので、という価値観を持っている人もいます。
あなたにとっては、車の免許は身分証明書にもなる、いざ何かあったとき車を運転しなければならない場合、車の免許くらい持っていないと困る、車の免許があれば、車を買って好きなところに行ける、と思ってもそうでない人もいるのです。
車の免許を持つのは常識という「観念」主観的な物ごとの捉え方があったとしても、人それぞれ生まれて育って来た環境が違うので、価値観が違う訳です。
あなたにとって車の免許を持つのは常識でも、他者に取っては常識ではないのです。
あなたも他者もお互いの観念(主観的な物ごとの捉え方、価値観)を認めることが出来れば、人間関係も良くなりますよね。
あなたの自己ルールは人間関係が良くなりますか?
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