こんにちは。渡辺貴史(わたなべたかふみ)です。
あなたは自己ルールを持っています。また他者も自己ルールを持っています。
あなたは、自己ルールと聞いて何?と思いましたでしょうか?
自己ルールとは主観的なものごとの捉え方、価値観、
「観念」
のことです。
「観念」とは辞書で調べると、主観的な物ごとの捉え方、客観的な物ごとの捉え方など出てきます。
「観念」主観的なものごとの捉え方とは、〇〇をしなければならない、〇〇は常識、〇〇は当たり前、〇〇は普通、などあなたの価値観、それはあなたの自己ルールのことです。
あなたに、誰からも認められなければならないという「観念」主観的な物ごとの捉え方があれば、誰からも認められなければならないんだとなるのです。
でも、誰からも認められなければならないとなれば、あなたはできますか?
人はそれぞれ生まれて育って来た環境が違うので、観念(主観的なものごとの捉え方、価値観)が違うのです。
誰からも認められなければならないとは、価値観が違う人それぞれに合わせてあなたが、認められなければならないとなるのです。
例えば、
あなたの会社の上司A部長は一戸建ての家を買って定住したい、B課長は一戸建てよりも住む場所を決めないで色々なところに住みたいので賃貸でいい、あなたはどちらでもいいのですが、上司から認められたいために、A部長には一戸建ての方がいいですね、B課長には賃貸の方がいいですね。
と合わせることはできますか?
できませんよね。
八方美人になることは、人から信用も得なくなります。
これで分かるように、誰からも認められなければならないということはできないのです。
あなたは、それでも誰からも認められなければならないと思いますか?
また例えば、
あなたが車の免許を持つのは常識という「観念」主観的な物ごとの捉え方があれば、車の免許を持っていない人がいると常識でないと思うのです。
車の免許は、18歳になってから取得できるので早い人であれば、高校生のうちから取得できますよね。
18歳以上の人が車の免許を持っていないと、何で持っていないのかとなるのです。
でも、車の免許は誰でも持っていないといけないのでしょうか?
人によっては必要性がない、取りにいく時間がなかったから今は持っていない、仕事に必要だからこれから取りに行く、車を買おうとは思っていないので、という価値観を持っている人もいます。
あなたに取っては、車の免許は身分証明書にもなる、いざ何かあったとき車を運転しなければならない場合、車の免許くらい持っていないと困る、車の免許があれば、車を買って好きなところに行ける、と思ってもそうでない人もいるのです。
車の免許を持つのは常識という「観念」主観的な物ごとの捉え方があったとしても、人それぞれ生まれて育って来た環境が違うので、価値観が違う訳です。
あなたにとって車の免許を持つのは常識でも、他者に取っては常識ではないのです。
「概念」客観的な物ごとの捉え方とは、誰がみてもそれはそうだよねというものです。
例えば、信号が青なら進め、赤は止まれ、日本なら車は左側の車線を走る。
これは誰にとってもその通り、常識というものですよね。
これが「概念」客観的な物ごとの捉え方になります。
一回では中々分からないと思いますが、何回も読み返していくと、もっと理解できると思います。
あなたも他者もお互いの観念(主観的なものごとの捉え方、価値観)を認めることが出来れば、人間関係も良くなりますよね。
あなたには自分を苦しめている、自分を幸せにしている自己ルールはありますか?
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